ネチネチ上司に10年耐えた話⑨

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異動した先で

異動した部署は、いままでやってきた総務や人事とはまったくちがう製造関係の仕事だった。

知識もなくド素人だったわたしに先輩のKさんは丁寧に仕事を教えてくれた。

仕事の取り組み方や改善方法も一緒にやってみせてくれ

はじめて仕事をしていて楽しいという気持ちが芽生えた。

どうしてこんなにKさんは親切に仕事を教えてくれるのか、ある日聞いてみた。

こんなわたしでも期待して信じてくれる人がいるんだ。

はじめてのことで嬉しかった。

じぶんを認めてくれる人がいて、ただただ嬉しかった。

うちの会社ではなかなか賃金もあがらず、

女性の管理職はひとりもいない、

ご飯をたべていくため、と割り切ったつもりでいたがやはり辛くなるときもあった。

けれどKさんと仕事をすることで

Kさんからもっともっと学びたいと

毎日たのしくなった。

もともと自己肯定感が低かったわたしは

なにかあると自分を責めてしまうことが多かった。

そこに相性最悪なネチネチ上司と

出会ったことで余計じぶんを攻め続けてしまった。

八つ当たりや嫌味を言ってネチネチ上司はすっきりするだろうけど

わたしは、相手を前にするだけで恐怖や傷が蘇ってしまっていた。

ひとりでは心の傷と向き合うことがなかなかできずにいたけれど

周りの人と話したり

Kさんに出会い心強い言葉をかけてもらったことで

過去の恐怖と向き合える気がした。

Kさんが退職するまでの3年間、

一緒に働けて幸せだった。

仕事だけでなく、人生の大先輩として

大切なことをたくさん教えてもらった。

わたしには同僚やKさんのような先輩に

恵まれたが

ネチネチ上司には誰もいなかったのだろうか。

プライベートもすべて会社に捧げ

周りからも快く思われておらず

ストレスのはけ口が部下に嫌味を言うこと

のネチネチ上司。

そんなネチネチ上司を哀れにおもった。

ただ、じぶんの感情で他人に八つ当たりする権利はネチネチ上司にも誰にもないはずだ。

他人を傷つけていいはずはない

それはじぶんの問題だ。

そこを線引きすることで

10年耐えたあと、3年かけて

ネチネチ上司の呪縛から解放され

会社へも恐怖を感じずに行けるようになった。

あとかぎ

これでネチネチ上司の話はひとまず終わりです。

現在も毎日顔をあわせますが、

ハラスメントなど取り締まり強化されてきたので表立ったことはしていませんが

根本は変わらないようです。

わたしも異動できていなかったら辞めていました。

いま思えば体調やメンタルがおかしかったときに心療内科を受診すればよかった、

そうなる前にさっさと退職すればよかったなどたくさんの後悔もあります。

けれど辞める踏ん切りがつかなかったのは

やはり周りに恵まれていたから、

助けてくれる人がいたから辞めたくなかったのかなと。

モヤモヤした思いがまだ残っていたのでブログで書き出してみようとおもい、書いてみました。

次からはフランクな日常のことなどほそぼそと書いていきたいとおもいます。

お付き合いいただきありがとうございました。

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